翼のある作曲家
先日、久しぶりに自作曲(ピアノとエレクトロニクス)の発表をした。
考えてみると、自分の曲にこれだけ思い入れが残ったのは、現音作曲新人賞の時以来かもしれない。
大学に入学してから2年生の頃までは、毎月10個以上の現代音楽のコンサートに足繁く通い、図書館で楽譜を山のように借りて、マスタークラスに参加したり、演奏会を企画したり、色々とにかく現代音楽に心酔していた自分が、
この2年くらいはプツリと作曲そのものから離れてしまっていた。
今回、自分の中で色々な区切りがついたので、改めて近年の経過を書き留めておこうと思う。
作曲をやめたくなった時の話
まあ、起承転結で書くなら、最初はやっぱり挫折の話から。
学内で一番大事な提出作品のクオリティが規定に達しなくて留年が決まってしまったのが2年生の終わりの時。
これはもちろん自分の怠惰さとか、仕事が忙しくて時間が取れなかったとかそういう理由もあるんだけど、それよりも自分で一番ショックだったのは、
〆切を目前にして自分の実現したい音楽に対して、圧倒的に時間も技術も足りていなかったこと。
当時はクセナキスやリゲティが大好きで、できるだけ精緻に音群を書くために、音の出現率をコントロールした乱数表をExcelで作っていたんだけど、
これを音に変換する作業がまっっっったく終わらなかった。
当時作った乱数表
今だったら数字を音に変換するプログラムなんて10分あれば書けるけれど、当時はアルゴリズムを考えることはあってもその実施(作曲)は自分の手で行なっていた。
結局、〆切当日の午前3時くらいの段階で泣く泣くこの表を破り捨てて、
付け焼き刃に適当な音楽を埋めて提出して、
見事、留年した次第。
ちなみに後日談として言えば、
この時の自分にとって『宝の地図』のように見えていたこの表も、
コンピュータ支援作曲の知見を得た今からみると、
「おう、坊や。それじゃうまく行かないぜ。」
って言いたくなるような幼稚なアイデアなんだけど、
「それが幼稚である」という事実すら、もしこの時に素早くトライ&エラーをする技術があれば気づくことができたでしょう。
とにもかくにもこの時感じた死ぬほどの悔しさは、
「これじゃダメだ、もっと根本的に作曲の方法から見直そう」
という苦しくて長い旅の始まりだった。
プログラミング武者修行の道へ
留年した原因が提出課題だけだったので、
3年次は1曲書いて提出する以外は全く授業を取らずにいることができた。
作曲の方法を見直す、と言っても最初は何から始めたら良いかわからなかったので、
現実逃避的にプログラミングの勉強を始めてみた。
たしか最初はTECH::CAMP でRuby on RailsでのWebアプリケーションコースを受講したんだった気がする。
1日13時間くらいTECH::CAMPのオフィスで黙々と勉強して、
そのまま渋谷のネットカフェに泊まってそこで続きをやるっていうサイクルをこなしていたら、通常1ヶ月のコースが1週間で終わってしまって、
その段階になって初めて「あれ、僕、別にWebアプリ作りたくないな」ということに気づき、Railsはそれ以来全く触ってない。
けれども、その時一生懸命勉強してRuby(というプログラミング言語)のごくごく基本的な書き方くらいは覚えたので、
早速、作曲プログラムの実装に挑戦してみた。
プログラミング始めたての頃に書いた幼稚なプログラム
もちろんプログラミングを初めて1週間そこらの小僧の書くコードなんて見るに耐えない物ではあったけど、数時間、頭をひねって色々ググったりしたら、
どうにかmusicXML(楽譜情報を記述する為のフォーマット)を生成するプログラムを書くことができた。
このプログラムにできたことなんて、簡単なセリーを生成するくらいの物だったけれども、それでも、
欲しい音の量が手間と比例しないという、コンピュータを使う根本的なメリットを大きく感じることができたので、
結果的にはこれがOpen Musicなどの既存のツールの再発明だったとしても、意味のある試作だったと思う。
爆発的に成長できたインターン
とはいえまだまだ実践的な開発の経験はなくて、一人でやっていくのにも限界を感じたので、
知り合いの紹介で、AI対話システムなどを開発しているNextremerという会社に2016年1月くらいから長期インターンに通い始めた(2017年12月現在も通っている)。
ここは(良い意味で)本当にぶっ飛んだ会社で、面接の時に
「プログラミングは始めたばかりで、人工知能もよくわかんないんですけど」
「いいよいいよ、よろしくね!芸大生なんでしょ?
3月にテキサスで出展するイベントがあるから一緒にきて演出やってよ」
みたいな感じで、やばい会社もあるもんだと思った。
主体的に開発に参加していたAI-Samuraiプロジェクトではこの2年間で、
その他、沢山の国内外のイベントに連れていってもらった。
SXSW2016での展示
Slush AsiaにてビートボクサーTATSUYAさんとのコラボ
ぶっちゃけ、Nextremerで誰かに何かを直接教えてもらうということはほぼなくて、むしろあきれるほど全てを任せてもらっていたんだけど、
おかげでUI部分を中心に様々なこと(Kinectを用いたミニAR、データビジュアリゼーション、対話と連動した自動作曲エンジン、ビートボクサーとリアルタイムでコラボする謎機能など)をトライした。
こういう場所で適度に信頼と責任を感じながら、開発→お披露目→フィードバックというサイクルを回すことができたのは本当に貴重な経験で、今もNextremerには頭が上がらない。
なんだかんだでNextremer以外にも細々とした仕事をしたり、ハッカソンやイベントや勉強会に参加しているうちに、
など、この2年半で本当に多岐に渡るプログラミングを経験して、やっとそろそろ「駆け出しのプログラマーです」と言えるようになったのかなと、最近、思い始めた。
そしてまた作曲へ
作曲や芸大から逃げるようにしてのめり込んだプログラミングでも、やっぱり音楽から逃れることはできなかった。
というのも、ディープラーニングがこれだけトレンドの技術として色んなところで成果をあげていると、「次はAIに絵を描かせてみよう!次は音楽だ!」と芸術領域に脅威の手が迫ってくるのは明白で、事実、既にそのような試みは沢山出てきた。
また、採択率約2%を勝ち抜いて選ばれたクリエイター奨学金の同期の優秀なエンジニア達を見ているうちに、自分の闘うべきフィールドはエンジニアリングではないと感じるようになった。
なので古巣に戻る気持ちで、しばらく諦めていたプログラミングを用いた作曲に本格的に取り組み始めた。
幸いなことにOpusmodusという作曲プログラミングに適した環境を見つけていたので、まずはそれを拡張する自作のツールを作り、臨んだのがオーケストラの作曲。
こんな感じのExcelを書くと
こんな感じの楽譜に変換される。
とはいえ、これもそんなにおいしい話ではなくて、人体錬成に失敗した残骸のような「音楽未満の何か」を量産すること、2年あまり。
強弱記号もなければ演奏者に対する配慮もないゾンビ音楽の頃
コンピューターは残酷なほど素直だから命令したことしか実行してくれないし、生成した結果の音楽が演奏可能かどうかは、自分で保証しなければいけない。
ぶっちゃけ自分で書いた方が早い、と思うことは死ぬほどあった。
かなり葛藤はあったけれど続けてこられたのは、昨年Googleが発表したAIによる作曲システムの出来のひどさをみて、芸術を科学者に解かせてはならないという強い使命感が芽生えたからだった。
どれだけ科学が発達したとしても、音楽は人間の為の物だし、最終的に音楽を評価するのは人間だ。
コンピューターが生成した音楽に対して聴覚的に妥当な判断を出来るのは、音楽的教育を受けて音楽に真摯に向き合ってきた自分たち音楽家であるという自負があるし、
よしんば、いつの日か機械に創造性で人間が負けることがあるとするなら、
それならむしろ、その最後の息の根は僕が自分で止めたい。
これからの話
ただし実際には、音楽が死ぬというよりは、新しい道が拓けてきたという方が正しい。
音楽の発展は、楽器の発展の歴史に寄り添っている。
かつてピアノやオーケストラの拡張に伴って和声が発展したように、あるいは、電子機器の発展に伴って電子音楽が発展したように、
人間のクリエイティビティは意外と、media-drivenに発展することがある。
つまり、欲しい表現があるから必要なメディアを作るんじゃなくて、「道具で遊んでたらなんか面白いのできた!」という無邪気な姿勢が、時として新しい価値を提示する。
で、今。
数十年前にはなかった計算力を持ったパーソナルコンピューターが、誰でも買える値段でどこにでも転がっている。
SNSやインターネットで、世界中の同志といつでも繋がることができる。
僕の親世代の人がきっと10年かかって検証するようなことを、3日でトライ出来たりする。
敬愛するクセナキスがきっと喉から手が出るほど欲しかっただろう、圧倒的なリソース(計算資源)を持っている。
音律も、音色も、ハーモニーも、リズムも、構造も、全部、最初から定義し直すことができる。
ハーモニーを機能じゃなくてベクトルで表現してコントロールしたい。
人間がまだ思いついていない面白い音色の組み合わせを、AIに提案してほしい。
人間のアンサンブルには不可能なほど精度の高いポリリズムを書いてみたい。
そもそも1オクターブって、なんで12個に分割しているんだっけ?
2年半かかったけれど、技術を修めることでそういう新しいことへの挑戦が、物理的に可能になった。
これまでに培ってきた音楽経験に加えて、毎日、大量に未知の音楽(良いものも悪いものもある)を浴びていると、逆に自分自身の音楽観がアップデートされたりして面白い。
そういうmedia-drivenな日々の製作の中から、いつか本当にパラダイムシフトと言えるような本当の意味での新しい価値を提示できる時まで、この新しい羽を大事に伸ばしていきたいという、2017年末現在の、僕の創作観でした。